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ザ・フー、ウェンブリー・アリーナ ライブに参戦! The Who, at SSE Wembley Arena 2016

a0060003_00553814.jpg昨年のライブよりズッポリとザ・フーにはまってしまい、後追いでCDやライヴDVDなどを取り寄せまくり恍惚と観てるうちに
「あぁ!!もう一度ライブ行きたい!前回のように、半分の曲しか知らない状態じゃなく、各曲の意味・メッセージ・バックグラウンドを把握した今こそ!!」
という熱が高まってしまった。

何しろ、6月のライブでは開始前のイメージ画像を見ても
「え?ジョン・エントウィッスルって誰?そういや地味な人が1人いたなぁ。変わった名前だな。50代前半で亡くなったんだ」
Baba O'Rileyも初めて聴き
「へ〜良い曲だなぁ。やけに合唱率が高いな。最近の曲かな?」
などとつぶやいたくらいのプチ・ファン。あの時、今と同じ知識を持って参戦してたら250倍楽しめたのに!と一人で残念がってた。

そこで…大胆にも、アメリカツアー参戦を密かに計画。
オークランドなら行きやすいかな?などと大胆なプランを練り始める。しかしあまりにも大胆すぎるかしら…と躊躇していたところに、ロジャーが急病で秋冬の全米ツアーは延期のニュースが。

その数ヶ月後、春に延期になったツアーの日程はどんなんじゃろ…とThe Whoの公式ページを訪問したら…なんと!!2月にロンドン、ウェンブリー・アリーナで追加ライブをするというではないか!!ユーロスターでわずか2時間半、これはもう行くっきゃない。

11月半ばの販売開始の朝、チケットマスターという「ぴあ」みたいなサイトで予約を試みるもソールドアウト…。一旦諦めたが、The Whoの公式Twitterがウェンブリー・アリーナのサイトでまだ買えますよ、とのツイートを。バレンタインデーの前日でもあるので、あ〜ちすとの分を含め2枚予約完了。ユーロスターも手配、宿泊は友人のGさんが一泊の居候快諾してくれた。後は直前に風邪ひかないよう気をつけるのみ〜 しかしこれって世間でいう追っかけ、ってヤツかなぁ…(照;

そして3ヶ月後、待ちに待ったXデーが。荷作りしながらついついニンマリ。17年ぶりに取り出したロンドンセット(地図とか電気アジャスターとか地下鉄パスとか)開けたら痩せたヲォットの20年以上前の写真が… 両替屋さんでポンドも入手。 窓口のおっさんに「え”、これだけ?これじゃ何も出来ないよー今ポンド高いよー」とからかわれた ww

早朝のユーロスターでセント・パンクラス駅に着き、Gさんにロジャーゆかりの地域シェパーズ・ブッシュを案内してもらう。

夕方、会場近くのウェンブリーパーク駅であ〜ちすとと合流。
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会場に向かう途中から、The Who色で一杯、ウキウキ感さらに高揚。アリーナ前は七色の噴水が。
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入場して、パリ公演の際買えなくて心残りだったTシャツを購入し、クアドロフェニア風のスクーターに乗って撮影。会場は斜面になっているので小柄なワテでも十分ステージが見える。
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前座の後、しばらく様々な時代のメンバーの画像が映し出され、そして会場が暗くなり「KEEP CALM HERE COMES THE WHO」の文字が。
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そして!!現人神たちの降臨!!!ヒゲを剃って髪を切ったロジャーは昨年よりずっと若々しい。

実は、予約してから開演までずっとロジャーのコンディションを心配してたが、全くワテの杞憂。ダルトリー絶好調!!ホームとアウェイではこんなにモチベーション違うのか…と感心しながらも、1分も逃すまい、と集中して体にサウンドを吸収。素晴らしい出来のイメージヴィデオ集を改めて堪能。特に、I Can See The Miles が素晴らしい。You Better You Bet では50肩も忘れ、いやっというほど手拍子して、喉が痛くなるほど一緒に大合唱〜。ゼニットとほぼ同じセトリだが、QuadropheniaからThe Rockが追加された。グループ結成当時の様子からジョン・エントウィッスルの死の2002年まで、ベトナム戦争、レーガン、ベルリンの壁崩壊、ゴルバチョフ、ブッシュ、クリントン…と政治的なネタを多く交えた濃いイメージ動画と共にプレイされる。6月からの様々な社会的事件を受け、このメッセージが追加されたのか?そしてラストのWon't Get Fooled Againのロジャーのライオンのような咆哮のところ、ドキドキしながら待ってたが…ロジャー、大成功!!!ピートも大満足で彼の肩を抱いていた。

a0060003_20440978.jpgあっという間の2時間。250%素晴らしいライブであった。ありがとう!!!

大満足で会場を出ると、路上でパチモンのTシャツとか売ってる…。良くないと知りながらも、今まで沢山、正規品買ったから良いよね…と我田引水して購入…(汗;

駅の数の少ないメトロポリタン線が早いんだけど、大混雑なので、駅の数の多いジュビリー線で座って戻る。ビールで酔っ払ったフーリガンなノリなファンのおっさん達で一杯…。中にはウィスキーをラッパ飲みしてる輩も居る。My Generationなど階級社会への不満を歌ってブレークしたThe Whoだからこの手のファンが多いのか…それともこういう人たちは騒げるイベントがあればなんでも良いのか…とぼんやり想像しながら駅の路線図を見ると、途中にKilburn駅があるではないか!!ロックドキュメンタリーの佳作「Kids Are Alright」の為のライブが開催された土地。ハマースミス・アポロ劇場のあるハマースミスも通るし、すんごいロックな線だな〜と感心。(…てか、ロンドンがロックゆかりの地域満載なのか…?)
* 追記 :
1 ウェンブリー・アリーナの8つ手前のセント・ジョーンズ・ウッド(St.John's Wood)駅はアビー・ロードの最寄駅なのも判明。
2 Kilburnのゴーモン・シアターでは確かに「Kids Are Alright」の為のライブが開催されたが、結局久しぶりのライブだったためメンバー達が出来に不満を持ち翌年にシェパートン・スタジオで取り直されたものが同映画で採用されている、という事だった。
www.shibuyabunka.com/soft.php?id=6294

翌日は午後半ばの電車だったので駆け足でロンドン観光をし(ついでに駆け足ロンドン観光はこちら >>)自宅に戻ってから興奮を忘れないうちに、これまで取り寄せた伝説のライブDVDを脳内で生ライブに変換しながら改めて鑑賞。
70過ぎのじーさんとなった今のライブでさえこれだけのパワーなんだから、絶頂期のライブ参戦した人には一生の衝撃だったであろう。「The Whoが日本でブレイクしかなったのは来日して(ツェッペリンみたいに)伝道師を育成しなかったから…」という説、うなづける。

ともかくも…
素晴らしいライブにしてくれたロジャー、ピート、ザックと全てのメンバー、スタッフに感謝。
プチ迷っていたワテの背中を押してくれたmoグさんにも感謝。
そして、これからも出来るだけ長くThe Whoが活動できますように…と(ツアーは今回が最後だけど、単発コンサートなら可能性十分!)運命の神様にお祈りしたのであった。

========= 追記 ========

この夜のセトリ >>

FBの日本語版The Whoページに、このライブの詳細解説の翻訳が!
日本語訳 >>
全然リスニング出来ないワテは、MCで皆んなが笑う中、取り残されちょっと寂しかったが、これでスッキリ。
Picture of Lilly のバックの写真、6月はキースの女装姿だったけど、今回は知らないおっさんだった。誰かゆかりのミュージシャンかなー?と思ってたら、75年からのマネージャー、ビール・カービシュレイであった。映画「さらば青春の光 Quadrophenia」を(一時は暗礁に乗り上げた)頑張って実現させてくれたのも、79年ライブの悲劇的な観客の圧死事件をフォローしツアーを継続させたのも彼。
The Who公式サイト(英語) >>

この日の客たち、ビールを買いに会場 ⇄ 売店をずっと行ったり来たり。
それも時々ちらほら、なんてもんじゃなく、地下鉄の乗り換え駅みたいに常に誰かが通路を通ってるという感じ。約1万5千円するチケット、もったいなーと他人事ながら思ったけど、ロンドンに長期滞在して何度かコンサートも行った人に聞いたら、ロンドンでのライブって常にこういう風なんだそう。ライブ後にはビールでへべれけになってる客もいた。

ついでに駆け足ロンドン観光はこちら >>


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by j-suguita | 2016-02-21 20:57 | 音楽 | Comments(0)

ザ・フー 3枚組DVD The Who トミー・ツアー/ 四重人格・ツアー/ ライブヒッツ!

a0060003_06024903.jpgThe Whoの50年分の後追いもとりあえずひと段落…と思ったところに又々こんな3枚組DVDを見つけてしまった ^^;
早速取り寄せ。TommyツアーとQuadropheniaツアー、おまけに両ライブのアンコールのライブ・ヒッツDVDを堪能~。

a0060003_06025041.jpgTommyツアー、LAのユニバーサルでのライブは元々ヴィデオ発売のために撮影されただけあって、有名アーティストのゲスト参加(フィル・コリンズ、スティーブ・ウィンウッド、ビリー・アイドル、エルトン・ジョン)に管弦楽団、コーラス・グループにパーカッション・グループという豪華版。なんだけど、Tommyは深刻なテーマなのにちょっとリラックスし過ぎの雰囲気。個人的にワイト島のライブみたいな素朴な方が好きかも。でも、水を得た魚のように生き生きと4年ぶりにピートとプレイするロジャーを見ると、こっちも幸せな気分に。

a0060003_06024930.jpgQuadropheniaツアーはこのライブの為に製作されたショートムービーを曲間に挟むという凝った構成。超ヘビーな名作アルバムの魅力をそのまま生かした素晴らしいライブ。
個人的にはショートムービーの俳優があまり好きじゃないかなぁ。ジミーの凶暴性は出てるけど繊細さに欠ける。ま〜本アルバムを元にした映画「さらば青春の光」のフィル・ダニエルスがあまりにもはまり役だったので採点が辛くなってるかも。ゲストのビリー・アイドルとPJ Proby、Tommyツアーの時のように花を添える為ではなく、内容を濃くするために参加してる。

a0060003_06024956.jpgおまけの位置付けの3枚目のライブ・ヒッツだけど、やっぱヒットパレードって楽しい!Quadropheniaツアー、Who Are Youの出だしでギターが不調、ふざけて壊す真似をするロジャーに観客が湧くが
「いや、俺には出来ないぜ。ギターを買う金がない頃は手作りしてたんだ。それにはファッキンな数週間がかかったんだ」。
無法の世界のアコースティック・バージョン、ナイス

コメンタリーの充実がハンパないので、以下、面白かったところだけを抜粋して備忘録を兼ねた雑記 :

Tommyツアー

ロジャー
 俺たちのバンド結成25周年記念だった。もう一度一緒にプレイしてどんな事になるか知りたい、と思っていた。コーラス、パーカッション、管弦楽団をプラスしたが、彼らは俺たちと一緒のリハーサルの前から、あらかじめ3週間、彼らだけで練習してくれていた。

ピートは自分の才能に疑問を持っていたが俺にはどうでも良い事だった。ヤツはジェフ・ベックやジミー・ペイジみたいには弾かないかもしれない。でも独特なスタイルがあり、それが俺の好きなスタイルなんだ。

トミーの大成功は名曲のためだけではない。すべての若者はある意味で三重苦だから、そこに訴求したんだ。特にベトナム戦争時代のアメリカ人はそうだっただろう。

トミーを通して、俺たちのジャズとブルースの知識を(特にデビュー時はジャズを演奏していた)ロックのスタイルに変換することが出来た。

ピート 金のためにやった。俺たちは皆、当時は経済的問題があった。俺はもう一枚ソロアルバムを出したかった。
マネージャーのビル・カービシュレイが「7億5千〜10億稼ぎたくないか?」と聞くので「だって、今までのツアーでそんな巨額を稼いだことはなかったじゃないか!?」と返すと「時代は変わったんだよ」と。
俺には聴力障害があったが、5年間ツアーをしなかった空白のおかげで改善できていた。
(*注 2006年のAmazing Journeyでのインタビューで「聴力への悪影響を避けるため、音量を下げてブラスバンドやコーラスを追加した。でもThe Whoのファンなら気が付いてただろうが、それは穴埋めだった」と言っている)

やりたかったのは…観客がナレーションする…という事だ。俺たちが曲を演る、すべてを与えるのではなく、観客がストーリーを作るんだ。

It's A Boy

ピート 「再生」「再築」の象徴だ。

クリスマス Christmas

ロジャー この曲で初めてSee Me Feel Me…と、トミーの内なる声が聞こえるが、他のシンガーがこんなに心に訴える歌い方をしたのは聞いた事がない。それは、彼らが裸の自分をさらけ出せていないからだと思う。
ずっとピートの作品の具現に自分を捧げてきた。 奴のギター、俺の声、ジョンのベース、キースのドラム…これらがピートの作品にとっての最高の楽器なんだ。俺の声質があいつの歌詞に最も適している。俺は登場人物を「生きた」。ピートの視点を尊重し人物になり切った。

Cousin Kevin, Uncle Ernie

ピート 自分の幼少時の性的虐待のトラウマから、この二曲はとても自分では書けなかった。そこでジョンに頼んだ。当時のロンドンの下町は知り合いの知り合いでも初対面でも「おじさん」と呼んだ。そのうち一人に奇妙な怪しい奴がいた。ジョンに作曲を頼みながら「書けない、言えない、考える事も出来ない自分がいる」事に気付いた。 See Me Feel Me Touch Me Heal Me は母を呼ぶ俺の心の声だ。

いとこのケヴィン、Cousin Kevin は残酷な内容だが、ケン・ラッセルの映画で聴いて最高に美しい曲だ、と再認識した。トミーには悪い経験でも、他者との経験が全くないよりは良いことなんだ。

The Acid Queen
ロジャー ゲスト歌手が歌う時は、いつも居心地が悪かった。でもだからと行ってステージを離れるのはおかしなことだ。チームプレイなんだから。特にL.Aのユニバーサルでのライブは特別なショウだったし。でもラ・ベルは素晴らしかった。彼女はキット・ランバート(初期のThe Whoマネージャーで、トミーをプロデュースした)が発掘したトラックレコードの歌手だ。ビリー・アイドルも良かったし、フィル・コリンズがリラックスしてアーニーおじさんを怪演して驚いた。(カトちゃんケンちゃんも真っ青なキモい変装で、実に楽しそう)
ピート スティーブ・ウィンウッドには映画で教祖の役を演じてもらいたかったが彼が映画に興味がなく断わられたので今回頼んだ。レイ・チャールズみたいに歌ってくれた。

Pinball Wizard

ピート ニックという若い批評家がゲーセンに連れて行ってくれて、そこでピンボール・チャンピオンの女性に紹介してくれて対戦した。強かった!!
その後、ニックにトミーの感想を聞いたら
「戦争、神、虐待…ドラッグ。ちょっと退屈かな」
「ピンボール・チャンピオンを追加したら?」
「それなら五つ星」
という事で、トミーはロックスター…の予定を急遽ピンボールのチャンピオンに変更、大急ぎで自宅に帰って作詞作曲した。

Sally Simpson
ピート ドアーズとフェスで一緒になった事があった。ジム・モリソンはまるで穴が空いたみたいに飲んでいた。俺も聖人君子ではなかったがドラッグはやらなかったので距離を置いていた。「ひどい顔色だぜ」と言った。次に死ぬのはジムだ…とわかっていた。
コンサートの中盤で興奮したファンの女の子が舞台に上ってしまい、セキュリティーに突き落とされ、頬か頭を打ち血だらけになった。俺はすぐそのその子を助け、ライブ後にジムのところに連れて行った。ジムはとても優しく謝ってくれて、巨額の見舞金を支払った。十字架のキリストのように手を広げた写真のジムのような…またはミック・ジャガーのような…強烈なカリスマの説教師に恋焦がれる少女の歌にした。

Tommy's Holiday Camp
ピート アニーおじさんは前の世代の人だ。戦争でジャップやドイツ野郎(Japs et Krauts)を殺して勲章を貰っているのかもしれない。キャンプでの信者達は三重苦を体験し、更にそこにアーニーおじさんが変態性、虐待、ドラッグ、いじめ、惨めさ…西洋社会がたっぷり持っているものを提供してくれる。

We're Not Gonna Take It
ピート 人々は、きれいな教会やイスラム寺院のように、きれいで整理されオーガナイズされたところから答えを渡されるのを安直に待っている。

See Me Feel Me
ロジャー ある意味、俳優の仕事をしていたと思う。メロディーと詩以上のものを表現したかった。歌手というのはありのままの自分をさらけ出す…という傷付き易い仕事だ。だが俺は良い仕事をしたと思うし、これで自信を持てた。
俺の声には「何か」があるんだ。自惚れとは思わない。強過ぎる声でロックには向かないかもしれないし、ひどく不器用に聞こえる事もあるかもしれない。でもこの曲を他の歌手が同じキーで歌うとひどくキンキンしてしまうが、俺の声の重みのおかげでそうはならないというクオリティーがある。これは生まれつきのギフトだ。

ピート  数え切れないほどパフォーマンスしたが、この曲は無欲な聴衆の不思議な力に関する曲なんだ。観客はそこにいて舞台に集中し「自己」とういうものを忘れ、力の流れに任せトリップする。その現象は何度も何度も見てきた。 76年のライブでは観客たちは浮遊を経験した…と言っていた。トミーはライブで演奏されると強い力を放つ。The Whoのコンサートは常に観客に「不信」の気持ちを忘れ、無我な気持ちで聴衆の一部として溶け込んでもらい、参加をしてもらう…というイベントなんだ。

Quadropheniaツアー

ピート ツアー開始直後のライブはイマイチだった。スタジオでは俺が100%コントロール出来たが、ステージではそうじゃなかったから。マジソンスクエア公演ではナレーションを入れてみたが結果は良くなかった。そこで、それまでほぼ人の言うことを聞かなかった俺が、初めてロジャーの意見を取り入れた。ヤツは解散後の俳優のキャリアを通して技術的知識を把握していた。

Real Me
ピート 本当の俺が見えるかい…?というのは自分自身への問いだ 
ロジャー このアルバムではロマンティックで傷付き易いジミーと彼の凶暴性の両方を表現したつもりだ。

The Punk and The Godfather
ロジャー 皆は否定するが、英国ははっきりとした階級社会だ。アメリカのように金さえ手にすればアッパークラスに行ける…というものではない。当時は14〜15歳で働き始め若いペンキ職人でも200ポンドのスーツが買えた。
ピート 当時「ナンバー」とはクールなモッズのことだった。マーク・ボランは世界初のイカしたモッズで、その他デヴィッド・ボウイ、ロン・ウッドがいた。ロッド・スチュアートはファッキンにまでにクールなモッズだった。

Cut My hair
ピート 本当のモッズは喧嘩なんかしなかった。服が汚れるのが何より心配な奴らだから。
ロジャー 俺は全然モッドじゃなかった。モッズの服を着たロッカーだった。

I'm One
ピート 俺は4重人格なんかじゃない…俺は一人だ、と自分に言い聞かせている曲

The Dirty Jobs
ロジャー 人生で5年もの間、同じ場所で働けば記憶に刻まれる。「また板金工場で働ける?」と聞かれるけど出来ないこともないね。同僚たちとの楽しい思い出も沢山ある。朝夕にタイムカードで管理されるのは嫌で仕方がなかったが。ラジオは禁止だったからジョニー・キャッシュとかその他を8時から18時まで歌っていた。そして18時から23時までライブ・ハウスで歌ったから一日中歌っていたことになる。楽しかったよ!

戦争が人々を変容させた。父母は戦争のトラウマを持っていて恐ろしく陰気だった。なぜ戦争の話をしなかったのか、今ならわかる。ただもう静かに生きたかったんだ。人生を10回生きたようなものだったから。労働者階級の多くの親がそうだった。たまに酔って戦時の楽しい思い出も語ることもあったが、ダークな話は決してしなかった。

Is It In My Head
ピート 今は情報がありすぎ、楽しくダンスしてから「人々が飢えてるのに踊ってる場合じゃない!」などと言い出したりする。世界を変えられない無力さに悩んだりする。1964年は戦後わずか20年。まだ踊ることに罪悪感があった。
ロジャー このツアーからリンゴ・スターの息子のザックが参加した。もともとは「ピートと仲間達」というタイトルの予定だったが、幼少時にキースに直々に指南されたザックの参加がピートにThe Whoの名前を使うことを決心させたと思う。キースの死後初めて俺たち3人に見合う実力のドラマーが入った。これはバンドの再生だった。

I've Had Enough
ピート 14歳の俺がジョンと自宅で練習していたら、大嫌いな祖母がやって来て「騒音はやめて!」と言ったので、俺はアンプを取り上げて「騒音じゃない、ロックンロールだ!」と叫んで床に叩きつけた。祖母はさっさと逃げ、ジョンは「グレート」と言ってくれた。
ロジャー The Whoはハチャメチャなようでよくまとまったバンドだった。それはジョンとピートという毛糸を編み曲げる編み針のようなキースのドラムがあったからだ。そして俺は他のロック歌手と逆にリズムを強調した。
ジョンのソロ「Smash Your Head against The Wall」はスージー無しのバンシーズのような独特な構成だった。乾いたダークなユーモアセンスを持った奴だった。実は…The Whoのファンは同意しないだろうけど、彼の曲はピートのほどは好きじゃなかった。でもともかく…ヤツがいなくて寂しいよ。

See and Sand
ピート 当時のイギリスはアメリカの労働者と同じで年2週間の休暇しかなかった。今はEU統合などで改善され、いつもバカンスだけど(笑
なので休日というのはブライトンの対決の様に「特別なイベントをする日」だった。まだ戦後だったんだ。
イギリスは縦長の島国だからビーチや砂丘は多くの人々の憩いの場所なんだ。
ロジャー ロッカー / モッズの対立はシャーク / ジェット(ウエストサイドストーリーの)やロミオとジュリエットの様なものだった。

Bell Boy
ピート 打ちひしがれてブライトンまでやってきたジミーの目にエースのバイクが入る。そして喜んだのもつかの間、ベルボーイ姿のエースが…裏切られた様な気持ちになる。
子供の頃は憧れのお兄ちゃんがいたりする。自分より強かったり、ギャグがうまかったり。そしてどこかで守られている感もあったが「もう助けてくれるアニキはいない。自分で戦うんだ」というメッセージでもある。

Dr Jimmy and Mister Jim

ピート ジキル( Dr Jimmy)とハイド(Mr Jim)の話。最初にワグナーの節をパクったのは、白人男性の傲慢さを表すため。

Love Reign O'er me

ピート すでに前年にレコーディングされていたが、Who's Nextには収録しなかった。録音エンジニアでプロデューサーのグリン・ジョーンズがマスターピースだから是非フィーチャーしては、と提案してくれた。俺はピアノはあまり自信がないが、デモのピアノをそのまま使ってくれた。グリンの優れたところは、録音の技術だけでなく他人が口を挟んでもピシャリとシャットアウトしてくれたところだ。ここでいうLOVEは「恋」ではなく精神的愛のことだ。


ロジャー 主人公の心境を総括している、という点でSee Me Feel Meに近い。「我々を支配するのは愛」である事の受容。答えは非常にシンプルなものなんだ。


ピート 本当はアコギで座って弾くのが好きなんだ。でもこの曲の時はストラトを肩にかける。ロジャーが俺の曲、テーマ、物語を歌ってくれている。俺は奴の邪魔にならないようにオブリガートしてサポートをする。
ジョンが亡くなってから、俺とロジャーの化学反応がこの曲のために変わった。この曲を演りながら俺たちはまだまだ高みに登れることに気がついた。「俺たちは騒がしいロックスターの一味だぜ」と。ロックの目的を個人の魂の目的に変換するような。それは俺たちの逃れ難い兄弟愛の始まりだった。ロジャーと演るグレートな曲だ。

****** 雑感 *******

仏語字幕を読んでいたら辻褄が合わなくなったので英語字幕にしてみたら、翻訳にメチャメチャな間違えが…。もしかしたら、他にもたくさん間違えあったのかもかも…と思うとギャフン。(ワテの仏語の読み間違えを含める)

人々がホムペやブログでロジャーを「くどい」「力んでる」「一本調子」「リポビタンDのCMに出てきそう」と愛を込めてdisってるが、ロジャーは承知で「強い声なので、すごく不器用に聞こえることもあるかもしれない」と冷静な自己分析をしてる。Tommyツアーでのロジャーはリーサル・ウェポンのメルギブソンと同じ髪型。。ダサかっこいいよ!

ボウイだけではなく、M・ボランもロッド・スチュワートもモッズだった、それもとびきりクールな…というコメント読んで画像検索したら…皆さん美しすぎ格好良すぎで、眩暈がした。
https://goo.gl/8SsZdQ
https://goo.gl/Mp9uWs

ピートの「当時は有休が年2週間しかなく労働者階級はツラかった。今は沢山あるけど」というのを聞き、格差社会の今の日本って、モッズ時代のイギリスに近いレベルかも。もし本当の和製モッズ(バンド名がモッズだとか、ファッションがモッズだとか、フーのコピー演る…とかじゃなく)が産まれるとしたら、今かも。
ま〜一番良いのはそうなる前に不公平が是正された世の中になる事だが。

番外編:別のDVD (Thirty Years of Maximum R&B Live) のインタビューから。
■ モッズスタイルからヒッピースタイルに変えた時について…
ロジャー「Tommyからスタイルを変えたから、巻き毛を伸ばしてジェルで固める…という事をしないで済むようになった。なにせ、当時、どんな恐ろしい伝染病よりも忌まわしもの…それはカーリーヘアのモッズだったのさ!」
ピート 「それまでは、週に一回仕立屋とアポイントを取ってモッズスーツを新調した。だけど、もうこのウザい作業は止めよう…と思い作業着にドクター・マーチンの短ブーツにしたんだ。」
(ピートのこのスタイルって'73の「時計じかけのオレンジ」のスタイリングにヒントを与えたのでは?)
■ Sister Disco
ピート 「俺はSister Discoをステージで演るのが大嫌いだったんだ。なぜなら、ロジャーの奴が必ず笑顔で『世間は俺たちが仲が悪い、って思ってるけど、実は仲の良い兄弟分だぜ。』と言いたげに馴れ馴れしく近づいてきやがるからさ。だから俺は睨みつけて『うせやがれ、○○○○野郎!』と言ってやったんだ。奴はムカついてたみたいだな。ハッハッハ!」
…これは90年代初頭、まだピートが「逃れ難い兄弟愛」を持つ前のインタビューだけど…ピートって性格に問題あるかもww 
まー天才ってそんなもんだろう。




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by j-suguita | 2016-01-28 06:23 | 音楽 | Comments(0)

ザ・フー Making Quadrophina 「さらば青春の光」制作ドキュメンタリー(ネタバレあり)

Youtube でザ・フーの'73のアルバムQuadropheniaを下地にした映画「さらば青春の光」(英 '79)の制作ドキュメンタリー「A Way Of Life: Making Quadrophenia」を発見!(1/4 〜4/4の4部に分かれている)



この作品、80年代に名画座で見て、異常なまでにハマってしまい、5回くらい観たかなぁ(Tsutayaも無い時代)そういや最初に買ったザ・フー(関連)のアルバムってQuadrophinaのサントラだった。いやっと言うほど聴いたっけ…(遠い目)
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制作ドキュメンタリーに話を戻すと、リスニング苦手なのでyoutubeの自動生成のアヤシい字幕を手掛かりに1/4くらい理解できたかな?という感じ。でも、それだけでもかなり面白かった。
このドキュメンタリーにザ・フーのメンバーは出てこないが、撮影時のスティール写真で姿を見る事が出来る。30過ぎてすでに大御所だった彼らが若い俳優たちに囲まれて楽しそう。ジミー役のフィルを優しく見守るピートの眼差しが暖かい。

そしてジミーに片思いするちょっと太めのモンキーを演じ、歌手でもあるトーヤ・ウィルコックスさんが素敵なベテラン女優さんに成長してる。クリムゾンのロバート・フリップと1986年に結婚しているんだ!本当に映画制作が好きで、良い作品にしたかった(実際なった)…というプロフェッショナルな情熱が伝わって来る。

忘れがたいハマリ役、彷徨うジミーを演じたフィル・ダニエルも今やベテランの俳優。
フィル・ダニエル「僕たちはまさに映画を生きた」

当初、ザ・フーがアルバムを出すという条件でレコード会社が資金を提供する事になっていた。
だがドラムのキース・ムーンの突然の死で新アルバムはキャンセルに。フランク・ロッダム監督はこの企画はボツか…と諦めた。が、プロデューサーのロイ・ベアードと、ザ・フーのマネージャーでやはり共同プロデューサーのビル・カービシュレイが粘り強く努力してくれて、制作に至った。

フランク・ロッダム監督はTVドキュメンタリー出身で、フィクションはこの作品が初めてだった。
現実感のある空気は彼のキャリアから生まれたんだろう。

そもそもは孤独なモッズの少年がブライトンの崖から投身自殺する…という哀しい事件から構想された。
パンクロッカーを主役に起用する事で、過去と現在の橋渡しが出来るのでは…という事で、ジミーは当初セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが演じる予定だった!スクリーン・テスト(残念ながら現存しない)は素晴らしい出来でセリフもきっちり覚えてきていた。しかし保険会社がジョニーの素行に不安を抱き、彼の登用を拒否。採用を覆さなければならなかった。そこでフィル・ダニエルがキャスティングされる。
(ロットン(現ライドン)は自伝では別の事を言ってるが…)

トーヤ
 ロッダム監督はオープンで、私たちの意見にもちゃんと耳を傾けてくれてとてもフレンドリーな空気だった。
 衣装さんは私が60年風の体型だったので、喜んでたわ。私はちょっと太り気味だったけど、当時の女性は体格が良くて、痩せた女の子は馬鹿にされた。(その後の)ツイッギーの登場が社会現象だったのはその為よ。
 ロジャー・ダルトリーが『モンキーのスタイリング、良いね!あの頃の俺の妹にそっくりだ』と言ってくれたと後で知って、とても嬉しかった。
 山場のブライトンでのモッズとロッカーの乱闘シーンでは、私たちはただカメラが回っている…としか教えられなくて「闘え!」という指示しか受けなかった。警官の制服の人がいたので「あなた本当の警官?え、エキストラ?じゃ殴って良いわね?」こんな感じだった。
 大乱闘のシーンはこの作品にとってとても重要なのはわかっていたから、どんなに疲れても、どんなにお腹が減っても、本当に頑張った。」

フランク・ロッダム監督「乱闘シーンでは、窓を粉々にされる占い師役の中年女性に『赤い皮のコートの俳優が窓を砕くから、良く見て間際に逃げて』と言ってあったが、彼女は勘違いして別の赤い皮のコートのエキストラを見ていた。でも、幸い間際に気がついて、窓に板を投げ込む直前に逃げてくれた。おかげで撮影中の死亡者はゼロだった」

上映劇場で
観客「20年後も人々を魅了するだろう」
トーヤ「この作品を見た人は男子も女子も、ジミーに自己投影したと思う。誰もが通る過程だから」

以下ネタバレ注意 ―――――――――――――

様々な解釈のあるラストシーンは
フィル・ダニエル&トーヤ「ジミーは自殺していない!(キッパリ)」
ロバート・サンダル(ジャーナリスト)「最後にバイクから飛び降りたんだ(Chiken out)でも彼は仕事もガールフレンドも失いどうやって生きていくんだろう?とてもアンビバレントな結末だ」
フィル・デイビス(チョーキー役)「彼は現実の世界に戻ったんだ」
マーク・ウィンジェット(デイブ役)「冒頭の、夕日を背に歩いくシーンを観ればわかる!(アツく語る)」
トーヤ「自殺を思わせる強いイメージがこの作品にパワフルにしている」

ジミーは自殺していない説は36年前からあったけど、こう関係者皆んながキッパリ言ってくれて嬉しかったが。
ここまで心を壊されたジミー、しばらくは抜け殻の様に生きるんだろう…彼の中で何かが死んだのは確かなんだろう…とフィクション映画ながら辛くなった。でも、これこそが10代の荒野 TeenAge WasteLand …なんだろうなぁ。

若い頃は「ヒドい邦題…」と思ったが、今にしてみると中々内容に合ってる。
でも、ネタを割っちゃってるって点でアウトだな、やっぱり。

しかし…今、名画座ってどんどん無くなってるらしいけど…
今の若いモンはDVDやTutayaがあって良いな~と思う反面、名画座の大画面で爆音で鑑賞する機会が減って、映画を味わうって点ではどうなんだろう…などと老婆心持ったりする。

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こっちがQuadrophinaのオリジナル版、素晴らしくも濃く、ヘヴィーなアルバム。
サントラの方は当時のヒット曲(悲しき雨音、ルイルイ等)も入っていて、新たに追加された曲も(Four Facesなど)軽快で強弱があるけど、オリジナルの方は最初からズッしりと畳み掛けて来て、名曲揃いですんごい高密度!全編、異様にテンション高いので、聴くのは時間と体力に余裕のある時…にしてる。
このプロジェクトは1から10までピートが仕切ったので、リハーサル中にロジャーと大喧嘩になったそうだが、ピートは「Quadrophinaはザ・フーの最高作品。多少の流血は大した事ではない」だそうだ。

Quadrophenia
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by j-suguita | 2015-12-07 06:10 | 映画 | Comments(2)

ザ・フー ドキュメンタリー Making of「Who’s Next」

相変わらず、35年の空白を埋めるべく、The Whoの後追いをして楽しんでおる。

Amazonでワイト島のライブテキサス・ライブ、それにドキュメンタリーが付いてお手頃価格のDVD3枚組があったので、ポチり。
ドキュメンタリーの方はオマケの位置付けだけど、これが「Who’s Next」制作の裏話でなかなか面白い!


以下、フランス語字幕を元にした雑記。(なので多少間違いがあるかも)

知られているように「Who’s Next」はピートの未完の大プロジェクト「LifeHouse」のために作られた曲をまとめたものだが、これはその制作裏話。ピート自身、ロジャー、ジョン(1999年の制作)とマネージャーのクリス・スタンプ、エンジニア達等にインタビューしてまとめたもの。

LifeHouse」は観客とグループがインターラクティブに一体になり、ステージと映画を組み合わせたもの、という構想だが、当時ピート以外誰も理解出来なかった。
だけど、今の時代にその話を聞けば、誰もがインターネットやiBeaconなどのIOTやプロジェクトマッピングの事…とピンとくると思う。技術的に早すぎる企画だったのか?

ピート「トミーとは違う状況で未来と希望を描きたかった。それで登場人物は近未来で、皆が同じスーツを着せられる社会に置く事にした。抑圧され監視される、カウチポテトな生活。シナリオライターと広告主、洗脳者に支配されて、形而上的な意味で三重苦になる。他者との交流も不可能になる社会」

クリス(当時のマネージャー)「ピートの考えが理解できなかったが、実はトミーの時も最初はそうだったが大成功した。それで、みんなで頑張ってトライしてみる事にした。」

ロジャー「全然理解出来なかった。でも”すべてを理解した時に音楽が聞こえて来る … Once there was a note pure and easy  かつて、澄んだ、簡素な音色があった…” で物語が始まるアイディアは素晴らしい!と思った」

劇場Young Vicのディレクター「ぜひここを無料で使って欲しい、と提供した」
ピート「一部をYoung Vicで撮影し、その後に映画フィルムの中に取り込みたかった」
ロジャー「劇場で曲を初めて聴いて覚え、そこでリハーサルが出来る…というのは初めての経験だった」
評論家「一種のユートピアを作ろうとしたのか?みながYoung Vicで生きるという?それともただパーティーをしようというだけだったのかが分からなかった」
ジョン「集まってきた人々と共生したかったみたいだけど、人々は夕飯時にはみんな帰っちゃったし。いまだに良くわからない」
ピート「他のメンバー達は理解不能なりに支えてくれたけど、成功するという確信を持っていなかった。それが自分のモチベーションを失わせた」

クリス「いっその事、最新機器が揃ったNYで録音しよう、とキットが提案。キット・ランバート(当時の共同マネージャー)はトミーのような大成功プロジェクトになるとまだ信じていたので」
しかし、クラブにバーにセックス…と誘惑に満ちたNYの街は制作には不向きだった。キットとドラマーのキース・ムーンは麻薬に溺れてしまう。そしてイギリスに戻った。デビュー時から彼らと仕事をするプロデューサーで録音技師のグリン・ジョーンズは、ともかくどの曲も素晴らしいから発表しては、と提言し、アルバムにまとめられ「Who’s Next」として発売され、The Who初の全英ナンバーワンアルバムとなった。

スタジオで録音技師(兼プロデューサー)のグリン・ジョーンズがBaba O’railey をベースだけ、シンセやドラムだけ…を抽出して解説、分析してくれる。ピートはこのアルバムから大胆にシンセを取り入れてる。

ロジャー「シンセサイザーは面白い、とは思った。でもうちのバンドには世界最高レベルのギタリストがいるのに、何故…と思うとフラストレーションを感じた」

エンジニアのボブロジャー「当時、シンセサイザーの部分はテープだった。だから、ライブではシンセに合わせてプレイしなければならなかった。キースはヘッドフォンを充てていた。タイミングがずれると観客はエンジニアのヘマでは…と冷たい視線を浴びせたね。テープが破けた事もあったし。楽しい時代だったよね、ハハ!」

ピートによるシンセの解説。デモテープも聴かせてくれる(ピートのデモは殆ど完成形なので有名らしい)ジョン・ポール・ジョーンズやウォーカーブラザーズ、ビーチボーイズを例に出して微妙なところを説明してるので機材に詳しい人には面白い部分だと思う。

ピートPure And Easy をアルバムに入れなかった事は本当に悔やんでいる。(The Song is Over の終わり際に出だしだけかかる)物語は There once was a note, pure and easy playin' so free, like a breath rippling by …から始まるのに」(現在ではボートラとして追加されている)




グリン・ジョーンズ
Going Mobile はライブで録音した。このギター、ベース、ドラム…これこそフーだ!」個々の音を抽出して(ボツにしたパートも含め)解説してくれる。

ピート「未来の世界では公害防止のため移動は禁止されている。だが登場人物はあえてGoing Mobile、旅に出る」

マイ・ワイフを改めてスタジオで分析して遊ぶエンジニアのボブとジョンの暖かい信頼関係が何ともいえずナイス!

皆によるキースの思い出話。次々と叩き続けて、時には床まで叩き続けた事があるという。
ロジャーがスタジオで、キースがいかに完璧なリズムでボーカルのブレイクに合わせてくれたかを説明。ロジャーの老眼鏡姿も一興!

ロジャーBehind The Blue Eyes の ”握った拳が開こうとする” はまったく当時の自分の気持ちそのままだ。俺が育った環境では「正しい奴」とは「喧嘩で勝った奴」という明快なルールがあった。だけどバンドでそんな事をしたら俺は首になっただろう(実際、キースを殴って一度クビになっている)。バンドは俺の人生そのものだった。だから何があろうと暴力は振るわない事を選び、封印した。」
(若い時のエピソードでは「道ですれ違ったらいきなりレンガを投げてきた」とか相当な暴力衝動男だったらしい)
ピート「ロジャーには彼なりの解釈があるが、俺にとっては愛による抑圧のフラストレーション…なんだ」

ピート「この大プロジェクトが実現しなかったのは本当に残念」
ロジャー「プロジェクトは実現しなかったが、何度もディスカッションし楽曲を深く理解してレコーディングできた。でなければ普通のアルバムのように録音されていただろう。」

ピートがWon’t Get Fooled Again を書いたのは、ファン達への切願からだった。
ピート「俺たちや他者に期待するな、と言いたかった。コンサートで俺がステージからボスとして指示を出す…なんて思わないでくれ。自分自身でハンドルするんだ」
「”10代の荒野 Teenage Wasteland ” や ”新しいボスに会ってみな。前のボスと同じだぜ Meet the new boss. Same as the old boss ” のメッセージは皮肉なんかじゃない、今でもそう信念を持っているんだ」
と。一途な人じゃのぉ。

その後、このプロジェクトの続編としてロジャーの大きなサポートを得て「Join Togather」を制作した。これは音楽が禁止された世界の話。…そしてスタジオでのこの曲のライブで終わるのであった。本来のプロジェクトとは比較にならない小規模なものだろうが、それでもラストにステージを降りてオーディエンスに揉まれ同じフロアでプレイする姿は元のプロジェクトとの繋がりを感じさせる。

その後「LifeHouse」はラジオドラマとして放送され、(おそらく)この作品の延長線上のピートの小説「The Boy Who Heard The Music」は最新アルバム EndressWire にロックオペラ Wire & Glass として収録されている。

…だれか資本のある人、「LifeHouse」プロジェクトを実現させてくれないかしらん?

Who's Next、Deluxe Editionだと上記Young Vicのライブがボートラに入っている。
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// その他のエピソード
My Generationでの大ブレイク以前、「ザ・フー」は野郎御用達のバンドだった。ステージからは男子しか見えないので「女の子達どこにいるんだ?」「後方じゃない?」でも奥も野郎で一杯だった… ww

グループは実は6人のメンバーで成り立っていた。キット・ランバートと、クリス・スタンプという二人のマネージャーの存在が無ければフーは続かなかった。(ロジャー首事件の時に取りなしたのもキット)
キットは常にピートをポジティブに励ましていた。「Tommyをロックオペラと称して良いかな?」「もちろんさ!」、「Tommyのストーリーってバカバカしいかな?」「オペラっていうのはみんな馬鹿馬鹿しいものだよ」など。

Pure and Easy の
”I listened and I heard music in a word and words when you played your guitar"
僕は詞(ことば)から音楽を聞き、君の弾くギターから詞(ことば)を聴いた」>
のくだり、ホント美しい。




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by j-suguita | 2015-11-30 06:55 | 音楽 | Comments(4)

ザ・フー : ドキュメンタリー 「 アメイジング・ジャーニー Amazing Journey」鑑賞記

The Whoのライトなファンだったワテだが、6月のライブが超良かったので、アマゾンでポチりまくり、ズッポリとThe Whoワールドにはまっておる。

「Kids Are Alright」は映画としても良く出来ていて、The Whoファンじゃなくても、60-70年代の音楽、雰囲気が好きな人なら楽しめる 佳作ドキュメンタリー 。そういや、80年代に自主上映会で既に観たの、思い出した。当時キースの奇行に口がアングリだった。 TV出演やライブシーン満載。

「アメイジング・ジャーニー Amazing Journey」の方は、インタビューと説明、当時の画像が交錯するオーソドックスな構成なので、The Whoのファン以外は退屈するかも。でも、そのインタビューが濃い!ロジャーとピートの他、歴代のマネージャー、プロデューサー、関係者が当時の内幕を生々しく語る。冒頭、当時のモッズムーブメントがどういう位置づけだったのかがわかって面白かった。

↓下記は「アメイジング・ジャーニー」の雑記ノート

ブルースに共感を抱く 英国労働者クラスの若者たち
抑圧されたアメリカ黒人のブルースに、イギリスの労働者クラスの若者たちは共感を抱く。
「父が乗った船は魚雷で沈没した。妊娠中の母が給料を取りに行くと、給料なら船が沈んだんだから出ないよ、と。当時、労働者階級はこういう扱いを受けていた」元マネージャーのクリス・スタンプ (俳優テレンス・スタンプの弟)
ピートの下宿先の大家のアメリカ人は膨大なブルースのレコード・コレクションを持っていたので、思う存分聴く事が出来た。

反・階級システムのモッズ・ムーブメント
「モッズ運動で、階級システムを変えたかった。収入はすべて服につぎ込んだ、孔雀のようにね」
1974年〜現在に至るマネージャーのビル・カービシュレイ。前述のスタンプもモッズだった。
ザ・フーを50年代ブルースのコピーバンドからモッズスタイルに変えた64年のマネージャー、ピート・ミーデンもモッズ。
ミーデンは広告界出身で、マーケティングに辣腕を振るった。
「モッズは新しい宗教、新しい倫理、新たな軍隊、すべての分野において革新的だ」
それをザ・フーに投影した。髪を短くフレンチカットにさせ、スリムスーツに投資させた。
ピート「『大衆を観察して、ステージで奴らの真似をしろ。人々はオマエ達が時代をリードしている、と思う』と言われ、その通りやった。安っぽい手口だが(cheap trick)しばらくうまく行った」
マーケティング的には成功だったミーデンも、肝心なレコード売上は惨敗。それでクリス・スタンプとキット・ランバートがとって代わるが、このモッズ・ターゲット作戦はザ・フーのファン層を強固にした。

Roger
ピート「ロジャーは界隈のボスだった。すごいカリスマ性のあるね。プレスリーみたいだった」
ロジャー「皆俺を不良呼ばわりしたが(学校に放火したかどで退学になった)違うね。ただ喧嘩が好きだっただけだ。今もそうだけど(笑)」

65年、初のオリジナル曲 I Can't Explain がブレイクしてスターダムに。
が、ハードなライブのスケジュール(夕方プレイしてその後バスに数時間揺られ深夜に別のライブ、など)に耐えるためアンフェタミンを摂取するようになる。ロジャーは薬が喉を痛めるのに気付きすぐ止めたが、他のメンバーはヤク中となり、ラリった状態で音楽とはいえない爆音を鳴らした。1965年9月のデンマーク公演中に嫌気が差したロジャーは途中で舞台を降り(この時の映像も収録されている)キースの薬をすべてトイレに流す。殴り合いになったが、当然、元番長のロジャーが勝つ。そしてバンドをクビになる。
「上等だ、あんなジャンキー共とプレイ出来るか」

「しばらくして、俺は生まれて初めて、他の何かを、自分自身以上に愛した、と気付いた」
「もし俺が受け入れられないなら、自分を変えよう、と決めた」
4週間後に連絡があった。
「またグループに入れよう。だが試用期間付きで。また癇癪を起こしたらその時は…」
元々は彼が結成し支配したバンドでここまでの譲歩はかなりの決意。不良番長だったとはいえ、wikiによると成績は非常に優秀で常にトップだったそうだ。おそらく、彼の知性が冷静な考察、反省をさせたんだろう。

そしてロジャーの復帰後にマイ・ジェネレーションが発表され彼らの音楽業界での地位が不動のものに。

相変わらず仲は悪く、ピートはステージでわざとロジャーをギターで小突いたリしていた。

メンバー間のライバル意識は顕著なもので、それは仕事のみならず私生活にも及んだ。

ピート「俺達はロジャーの葛藤に無頓着だった。キースとジョンは天才、俺は別格だった。でもロジャーはただの歌手だった。」
ロジャー「何があっても、以前のような暴力行為は控えたのでフラストレーションがあった。が一番キツかったのは、ザ・フーならではの、独特のボーカルスタイルの追求だった」

Pete

ギターを壊し始めたのは、会場の天井が低くて、ネックがぶつかって壊れ、それなら、とことん壊してやれ、と思ったから。それが自分の潜在的暴力性をコントロールするツールにもなった。美術学校で破壊アートや、ハプニングで知られるアーティスト達の講義を受けた事も影響している。

初期は壊したギターの破片を回収して、修復して2台を使い回していた。

ピート奏法は彼の大きな手があったからこそ出来た。ザッザッと激しい歯切れの奏法はフラメンコから来ている。

ウィンドミル奏法で爪を剥がしてギターが血だらけになったこともあったそう(痛

1966にはオペラが書きたくなり、A Quick Oneを制作(Kids Are Alrightではマネージャーにレコードに空き時間があるから埋めるために10分の曲を書いて、と言われて無理だよ、と答えたら、じゃぁ10分の物語を書けと言われ作った…と言ってるが。(マネージャーに言われて)書きたくなった、という事なんだろう)

67年のアメリカツアーでは「見つめあう恋」で知られるハーマンズ・ハーミッツの前座だったが、アイドル系のハーマンズ…を見に来ていた少女達は、フーの演奏中、会場の隅に固まって震えていた(爆

1968年は、イギリスでアルバムの売り上げがシングルの売り上げを上回った画期的な年。これまでのように、シングルを出して、まとめてLPにする…というやり方は古くなった。 ピートはトータルなコンセプトのアルバムの制作に挑戦、それがポップアートをテーマにした「The Who Sell Out」。曲間にジングルや架空のコマーシャル・ソングを挟み、あたかも架空のラジオ局「ラジオ・ロンドン」の放送のような構成で、彼らを一躍有名にしてくれた海賊放送局にリスペクトを捧げた。

Tommy
ピート「I Can See The Miles and Milesは当時としては最良の曲だったが、でもそれだけでは十分ではなかった。新しいスタイルを考えてバンドを生き残らせなければ。それは俺にしか出来ない」
ロジャー「ピートがソングライターとしてグループを牽引するストレスは並大抵ではなかっただろう。俺はピートが作曲に専念出来るよう、邪魔しないように気を使ったが、今にして思うと、俺たちが彼の苦労に無頓着なように見えたかもしれない。」
ピート「Tommyは自分達の戦争追体験に基づいている。祖父に戦争の時の事を聞いても、『んな話するな!アッチ行け!』。何も聞くな、話すな、という」
(仏語字幕はVas jouer ailleur 外で遊んで来い!になってるけど、ピートはFuck Offと言ってるww)

他のメンバーもインスパイアされアイディアを出し始めた。ジョンは、ピートには絶対書けなかった悲惨な児童虐待の曲を(「従兄弟のケビン」「Fiddle About」)。キースはトミーの新興宗教の教会をホリディキャンプにする事を思いついた。 リードボーカルは、当初ピート自身が担当する予定だったが、ロジャーの希望で彼がTommyを演じる。

ロジャー「やっとバンドのボーカルスタイルを確立した。そして、改めてグループに受け入れられた…と感じた。」
ピート「Tommyを経て、あいつは全く別の高次元のボーカリストになった。オーディエンスを歌の世界に誘い込み、聴衆の前にありのままの姿で立つような。以前のような『俺を怒らせんなよ』的な、チッポケで執念深いチンピラではなく、ね」(ピートは何度もチンピラ、と言ってる。よっぽど以前のロジャーが嫌いなんだろう。基地とチンピラは相性が悪いのかw)

1968年秋から半年かけて制作され1969に発表されたアルバムは大成功、Tommyは音響が非常に重要な作品なので、オペラ座で演じられ、NYではメッツ劇場が会場だった。

Who's Next
その後のコンセプトアルバムの「ライフハウス LifeHouse」はインターラクティブな総合アート…という事だったが、ピート本人以外理解できず、頓挫する。当時のマネージャー、キット・ランバートはピートは気がふれた、ともらしていたらしい。その時に作られた曲がWho’s Nextに集められ、ザ・フー初の英国チャート1位アルバムになる。
その時の制作秘話ドキュメンタリー、Making of「Who’s Next」はこちら »

Quadrophenia 4重人格
Quadropheniaのプロジェクトは一から十までピートによるコントロールが必要だった。クビ事件以来、抑えていたロジャーがついに切れ、ギターで殴りかかってきたピートと肉弾戦になる。ローディーがロジャーを、ジョンがピートを羽交い締めにして止めたが、元番長のロジャーがノックアウト。
ジョン「ピートが放せ、っていうから放したらロジャーに殴られて倒れちゃった」
とジョンが淡々と語る様が楽しい。てか、普通、放せって言われても放さないと思うww
ピート「Quadropheniaはザ・フーの最高作品だ。多少の流血があっても大した事じゃない」

そして
1978年にキースのアルコール治療薬の過剰摂取による死、翌年にはシンシナティのコンサート会場で、11人の観客が圧死、というロック史上最悪の死亡事故が発生してしまう。苦楽を共にし、ロジャー首事件の時は他の3人を説得して復帰させた元マネージャーのキット・ランバートが(麻薬に依存していた)81年に階段から転落死…と、不運が続く。元フェイセズのケニー・ジョーンズをキースの後釜に迎えるも、ピートは82年に解散を発表。
(キース亡き後の初アルバムFace Dances(全米4位)はなかなか楽しい作品、と思う。ヒット・シングルのYou Better You Bet(全米18位)は喝を入れたい時必ず聴く曲。解散直前にリリースされた「It's Hard」(全米8位)も表題曲、Athena、Dangerousと粒ぞろい。シングルカットもされたEminence Frontは、80年代の空気を見事にキャッチしたファンキーな作品。当時ピートが日和った…という評論があったらしいが、そうじゃなくて、天才は時代を実に自然に吸収しちゃうんでは。ピートのテクノカットも、ニコラス・ケイジみたいで楽しい)

その後もライブ・エイドなどで単発で再結成しライブをした。

1996年にはキースから直々にドラムを指南されたリンゴ・スターの息子のザックがサポートメンバーとして参加。
ロジャー「バンドが生き返った」

2002年にはジョンが北米ツアー開始前日に薬物摂取で死亡、オリジナルメンバーは二人のみとなるも2004年にはELPのパーマーを迎えてシングルReal Good Looking Boyを録音。
ピート「NYでのチャリティーコンサートで確信した。まだアルバムが出せる!と。 Real Good Looking Boy は完全にアイツの曲になっていた。俺の曲を彼が具現化する…いや、むしろ使ってもらう。俺が曲を書き、ヤツに渡し、ヤツがオーディエンスに伝える」そしてその2年後に24年振りのアルバム「エンドレス・ワイヤー」が制作される。

…と、見事にReal Good Looking Boy、エンドレス・ワイヤーをポチりたい気持ちにさせて終わったのであった。

/  雑感  /

* 60年代の彼らの私服がカッコイイ!!あとドキュメンタリーフィルムのモッズの若者たちも。60年代ファッションが好きな人はここも見どころかも。

* Quadrophenia=4重人格と訳されてるが「4チャンネル症候群」くらいでも良い気が。

* 奇人と思ってたキースはチャーミングな悪戯っ子で、むしろ60年代のピートに暗い狂気を感じた。が、Tommy後辺りから髭を生やし、落ち着き始める。Tommy制作を通して解毒したのか。または、ピートはモントレーでおぼえたLSDで体調を大きく崩し、救済を探しメハー・ババの本に出会っているので、東洋思想の影響もあるのかも。

* ジョン・エントウィッスルは雷神ならぬ、雷指 (Thunder Fingers )と呼ばれていたのか。

落ち着いた佇まいのジョンだが、Tommyでもっとも悲惨な児童虐待をテーマにした「従兄弟のケビン」「Fiddle About」が彼の作品だったとは!更に彼は買い物依存症で、ザ・フー解散後も同じような豪奢な生活を続け、借金づけだったそうだ(その救済にツアーをした事もあったらしい)。彼の心の深淵になにか暗いものがあったのか、単にそういうもんだったのか…などと下衆の勘繰りをしても、もう知る由もない。RIP。

* ボーカリストとしてのロジャーは、ある意味80年代がピーク、ともいえるかも。3人の天才に囲まれる重圧から解放され伸び伸びしてみえる。 デビュー当時のアグレッシブな目線、ハングリーな表情が消え、自信に満ちたボーカリストのそれに。革ジャンを着て熱唱する様はジョニー・アリディーみたい。

ググったら「ロジャーってダサかっこいい」と、私と同意見の人が沢山いて嬉しい。特に「リポビタンDのCMに出てきそう」というのはワロた。

CMといえば…80年代半ばにはあろうことかロッカーにはあるまじき行為、Do you know me ? のアメックスのCMにも出てる。ニヤっと「これでwho’s whoか、わかりますね」と言っちゃうとこがスゴい。しかし惚れた弱み、アバタもエクボ、このベルボーイ的逞しさもロック、としよう!

You better you betの「so eager to fight can't make letting me in any easier …」って、ピートが喧嘩ばかりしてた頃のロジャーを描いたんじゃね?と邪推して楽しい。

てか、若い頃の、屈託なく笑う時のロジャーには萌え〜。

* 芋ずる式にピートのソロも取り寄せたくなったが…まだQuadropheniaもTommyも十分消化していないところに、リーズ大学ライブのデラックス盤もポチってしまったので、これはもう少し待とう。しかし、当時のアルバム邦題が「現人神(あらひとがみ)」とは。。レコード会社、遊びすぎ。 (追記:このアルバムはピートに思想的救済を与えたメハーババに捧げられている事から、このタイトルなのでした)

* 有名ミュージシャン達が実際に見本のプレイしながら彼らの演奏の解説をしてくれるので、私のように楽器の知識がない人にもわかり易くて面白い。

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by j-suguita | 2015-09-16 22:33 | 音楽 | Comments(0)

じじー ロック、健在!THE WHO 編(ゼニット・パリ)

6月の2回目のZenith パリ公演 は30年来のファンにして、初めての THE WHO ライブ!
これもKISS同様110ユーロという高額チケ…。パリ・ライブは中規模のゼニットなのでその値段になっちゃうのか。
しかし、行かないという選択肢はないので、あ〜ちすとと一緒に行ってきた。

30年…って年ごまかしてませんか?とツッコミ入りそうだけど、私がザ・フーのファンになったのは、80年代半ばに名画座で「さらば青春の光 Quadropheia」(英, 79)を観てから、と遅め。
この映画が根強い人気があるのは、ジミーという主人公の少年の不器用さに自己投入した人が多いからだろう。ワテもその一人、、、(照;

当日、ライブ会場ゼニット・パリに着くとKISSと違い、高齢者が目につく。
我々のような初老者の更に上をいくじっちゃん、ばーちゃん達が。
a0060003_10163469.png

a0060003_10163443.jpg親子連れが多いのはJacksonsと同じ。

前座が終わり、明かりが消えて、いよいよザ・フーの出番。
バックミュージシャンのおっちゃんたちが出てきたな〜…と思ったら…
ア、アレ!? なんかマイクに向かい、舞台中央近くでギターを抱え出した?
この何の変哲もないおっちゃん達がピートとロジャーなんだ!と気がついたときには、「科学捜査班」のテーマ曲に使われ、若い世代にThe Whoを知らしめた「Who Are You」が。71歳のロジャーは、痩せて細長かった顔にナイスに肉がついて、なんとも良い感じで別人のよう。

持ってる(た)のは「Singles」と「Quadropheia」だけというライトなファンだが、そんな私でも知ってる殆どのザ・フーのヒット曲をやってくれた。「Picture of Lilly」は少年の性への目覚めという微妙なテーマをユーモアと詩情たっぷりに歌う美しい作品だな〜と再認識。「 The Kids Are Alright」は初めて聞いたが、こんなキャッチーなイカした曲だったんだ!これを20代で聴いてなかったとは、人生損してた。。そして「Baba O'riley」も初めて聴く。人生損してた。。。



バックに流れるイメージフィルムも、どれも秀逸で「The Kids Are Alright」の時は「さらば青春の光 Quadropheia」を思わせる断崖でスクーターを走らせるモッズ達。(追記、思わせる…というより、映画の抜粋であった)「I Can See for Miles」は目玉をモチーフにした歌詞にぴったりなサイケデリック風のショートムービー。
「Baba O'riley」では「It's only teenage wasteland」の歌詞が何度も大きくフィーチャーされる。

そして…これだけはやってもらわなきゃ!と思ってた「You Better You Bet」が。
この曲聞くと、異常なまでに根性が入る(照; 
この長い人生、特に辛いフランス人生、何度この曲に励まされた事か…(涙;
ロジャーと共に思いっきし、何度も「You Better You Better You Better You Bet !!!!!!!」とシャウトして、あ〜スッキリ〜。



映画「Tommy」の曲なども網羅して、「Won't Get Fooled Again 」で引き上げたので、アンコールは「Summer Time Blues」だな〜と思ってたら…電気付いちゃった。。。残念だったけど、アンコール無しという大胆で潔い構成、って事で、まーいいか。
ゼニットを出てから夜のパリを散歩しながらライヴの余韻にうっとりと浸る。

ともかくも、この夜は一緒にアツく歌いながら、ザ・フーは不器用なテイーンエイジャーの応援団だ…と再認識。
そういやSinglesの解説についてたピートの言葉を思い出した。
「ロックン・ロールは、一つの鍵だね。とても複雑な人生を解く多くの鍵の一つだ。その多くの鍵の全てに関わり合う事はない。ロックン・ロールに夢中になる。そうすれば、おそらくそれが最高の鍵の一つだってことがわかってくるはずだ 」

「さらば青春の光 Quadropheia」ラストに関しては当時ロキノン誌でも議論があったが、やっぱり http://goo.gl/UPjerq みたく、主人公は生き残りしょうもない大人として、しょうもない現実を生きてく…と思いたい。

生きてりゃ70過ぎたザ・フーのライブも行けるぜよ!

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* こちらに素晴らしい解説ページが!


付記:ザ・フーTシャツは人だかりの中、苦労して自分の番まで待ったけど(仏人並ばない)XLとXXLしか残ってなくて諦め。
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by j-suguita | 2015-07-18 10:36 | 音楽 | Comments(2)