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ザ・フー : ドキュメンタリー 「 アメイジング・ジャーニー Amazing Journey」鑑賞記

The Whoのライトなファンだったワテだが、6月のライブが超良かったので、アマゾンでポチりまくり、ズッポリとThe Whoワールドにはまっておる。

「Kids Are Alright」は映画としても良く出来ていて、The Whoファンじゃなくても、60-70年代の音楽、雰囲気が好きな人なら楽しめる 佳作ドキュメンタリー 。そういや、80年代に自主上映会で既に観たの、思い出した。当時キースの奇行に口がアングリだった。 TV出演やライブシーン満載。

「アメイジング・ジャーニー Amazing Journey」の方は、インタビューと説明、当時の画像が交錯するオーソドックスな構成なので、The Whoのファン以外は退屈するかも。でも、そのインタビューが濃い!ロジャーとピートの他、歴代のマネージャー、プロデューサー、関係者が当時の内幕を生々しく語る。冒頭、当時のモッズムーブメントがどういう位置づけだったのかがわかって面白かった。

↓下記は「アメイジング・ジャーニー」の雑記ノート

ブルースに共感を抱く 英国労働者クラスの若者たち
抑圧されたアメリカ黒人のブルースに、イギリスの労働者クラスの若者たちは共感を抱く。
「父が乗った船は魚雷で沈没した。妊娠中の母が給料を取りに行くと、給料なら船が沈んだんだから出ないよ、と。当時、労働者階級はこういう扱いを受けていた」元マネージャーのクリス・スタンプ (俳優テレンス・スタンプの弟)
ピートの下宿先の大家のアメリカ人は膨大なブルースのレコード・コレクションを持っていたので、思う存分聴く事が出来た。

反・階級システムのモッズ・ムーブメント
「モッズ運動で、階級システムを変えたかった。収入はすべて服につぎ込んだ、孔雀のようにね」
1974年〜現在に至るマネージャーのビル・カービシュレイ。前述のスタンプもモッズだった。
ザ・フーを50年代ブルースのコピーバンドからモッズスタイルに変えた64年のマネージャー、ピート・ミーデンもモッズ。
ミーデンは広告界出身で、マーケティングに辣腕を振るった。
「モッズは新しい宗教、新しい倫理、新たな軍隊、すべての分野において革新的だ」
それをザ・フーに投影した。髪を短くフレンチカットにさせ、スリムスーツに投資させた。
ピート「『大衆を観察して、ステージで奴らの真似をしろ。人々はオマエ達が時代をリードしている、と思う』と言われ、その通りやった。安っぽい手口だが(cheap trick)しばらくうまく行った」
マーケティング的には成功だったミーデンも、肝心なレコード売上は惨敗。それでクリス・スタンプとキット・ランバートがとって代わるが、このモッズ・ターゲット作戦はザ・フーのファン層を強固にした。

Roger
ピート「ロジャーは界隈のボスだった。すごいカリスマ性のあるね。プレスリーみたいだった」
ロジャー「皆俺を不良呼ばわりしたが(学校に放火したかどで退学になった)違うね。ただ喧嘩が好きだっただけだ。今もそうだけど(笑)」

65年、初のオリジナル曲 I Can't Explain がブレイクしてスターダムに。
が、ハードなライブのスケジュール(夕方プレイしてその後バスに数時間揺られ深夜に別のライブ、など)に耐えるためアンフェタミンを摂取するようになる。ロジャーは薬が喉を痛めるのに気付きすぐ止めたが、他のメンバーはヤク中となり、ラリった状態で音楽とはいえない爆音を鳴らした。1965年9月のデンマーク公演中に嫌気が差したロジャーは途中で舞台を降り(この時の映像も収録されている)キースの薬をすべてトイレに流す。殴り合いになったが、当然、元番長のロジャーが勝つ。そしてバンドをクビになる。
「上等だ、あんなジャンキー共とプレイ出来るか」

「しばらくして、俺は生まれて初めて、他の何かを、自分自身以上に愛した、と気付いた」
「もし俺が受け入れられないなら、自分を変えよう、と決めた」
4週間後に連絡があった。
「またグループに入れよう。だが試用期間付きで。また癇癪を起こしたらその時は…」
元々は彼が結成し支配したバンドでここまでの譲歩はかなりの決意。不良番長だったとはいえ、wikiによると成績は非常に優秀で常にトップだったそうだ。おそらく、彼の知性が冷静な考察、反省をさせたんだろう。

そしてロジャーの復帰後にマイ・ジェネレーションが発表され彼らの音楽業界での地位が不動のものに。

相変わらず仲は悪く、ピートはステージでわざとロジャーをギターで小突いたリしていた。

メンバー間のライバル意識は顕著なもので、それは仕事のみならず私生活にも及んだ。

ピート「俺達はロジャーの葛藤に無頓着だった。キースとジョンは天才、俺は別格だった。でもロジャーはただの歌手だった。」
ロジャー「何があっても、以前のような暴力行為は控えたのでフラストレーションがあった。が一番キツかったのは、ザ・フーならではの、独特のボーカルスタイルの追求だった」

Pete

ギターを壊し始めたのは、会場の天井が低くて、ネックがぶつかって壊れ、それなら、とことん壊してやれ、と思ったから。それが自分の潜在的暴力性をコントロールするツールにもなった。美術学校で破壊アートや、ハプニングで知られるアーティスト達の講義を受けた事も影響している。

初期は壊したギターの破片を回収して、修復して2台を使い回していた。

ピート奏法は彼の大きな手があったからこそ出来た。ザッザッと激しい歯切れの奏法はフラメンコから来ている。

ウィンドミル奏法で爪を剥がしてギターが血だらけになったこともあったそう(痛

1966にはオペラが書きたくなり、A Quick Oneを制作(Kids Are Alrightではマネージャーにレコードに空き時間があるから埋めるために10分の曲を書いて、と言われて無理だよ、と答えたら、じゃぁ10分の物語を書けと言われ作った…と言ってるが。(マネージャーに言われて)書きたくなった、という事なんだろう)

67年のアメリカツアーでは「見つめあう恋」で知られるハーマンズ・ハーミッツの前座だったが、アイドル系のハーマンズ…を見に来ていた少女達は、フーの演奏中、会場の隅に固まって震えていた(爆

1968年は、イギリスでアルバムの売り上げがシングルの売り上げを上回った画期的な年。これまでのように、シングルを出して、まとめてLPにする…というやり方は古くなった。 ピートはトータルなコンセプトのアルバムの制作に挑戦、それがポップアートをテーマにした「The Who Sell Out」。曲間にジングルや架空のコマーシャル・ソングを挟み、あたかも架空のラジオ局「ラジオ・ロンドン」の放送のような構成で、彼らを一躍有名にしてくれた海賊放送局にリスペクトを捧げた。

Tommy
ピート「I Can See The Miles and Milesは当時としては最良の曲だったが、でもそれだけでは十分ではなかった。新しいスタイルを考えてバンドを生き残らせなければ。それは俺にしか出来ない」
ロジャー「ピートがソングライターとしてグループを牽引するストレスは並大抵ではなかっただろう。俺はピートが作曲に専念出来るよう、邪魔しないように気を使ったが、今にして思うと、俺たちが彼の苦労に無頓着なように見えたかもしれない。」
ピート「Tommyは自分達の戦争追体験に基づいている。祖父に戦争の時の事を聞いても、『んな話するな!アッチ行け!』。何も聞くな、話すな、という」
(仏語字幕はVas jouer ailleur 外で遊んで来い!になってるけど、ピートはFuck Offと言ってるww)

他のメンバーもインスパイアされアイディアを出し始めた。ジョンは、ピートには絶対書けなかった悲惨な児童虐待の曲を(「従兄弟のケビン」「Fiddle About」)。キースはトミーの新興宗教の教会をホリディキャンプにする事を思いついた。 リードボーカルは、当初ピート自身が担当する予定だったが、ロジャーの希望で彼がTommyを演じる。

ロジャー「やっとバンドのボーカルスタイルを確立した。そして、改めてグループに受け入れられた…と感じた。」
ピート「Tommyを経て、あいつは全く別の高次元のボーカリストになった。オーディエンスを歌の世界に誘い込み、聴衆の前にありのままの姿で立つような。以前のような『俺を怒らせんなよ』的な、チッポケで執念深いチンピラではなく、ね」(ピートは何度もチンピラ、と言ってる。よっぽど以前のロジャーが嫌いなんだろう。基地とチンピラは相性が悪いのかw)

1968年秋から半年かけて制作され1969に発表されたアルバムは大成功、Tommyは音響が非常に重要な作品なので、オペラ座で演じられ、NYではメッツ劇場が会場だった。

Who's Next
その後のコンセプトアルバムの「ライフハウス LifeHouse」はインターラクティブな総合アート…という事だったが、ピート本人以外理解できず、頓挫する。当時のマネージャー、キット・ランバートはピートは気がふれた、ともらしていたらしい。その時に作られた曲がWho’s Nextに集められ、ザ・フー初の英国チャート1位アルバムになる。
その時の制作秘話ドキュメンタリー、Making of「Who’s Next」はこちら »

Quadrophenia 4重人格
Quadropheniaのプロジェクトは一から十までピートによるコントロールが必要だった。クビ事件以来、抑えていたロジャーがついに切れ、ギターで殴りかかってきたピートと肉弾戦になる。ローディーがロジャーを、ジョンがピートを羽交い締めにして止めたが、元番長のロジャーがノックアウト。
ジョン「ピートが放せ、っていうから放したらロジャーに殴られて倒れちゃった」
とジョンが淡々と語る様が楽しい。てか、普通、放せって言われても放さないと思うww
ピート「Quadropheniaはザ・フーの最高作品だ。多少の流血があっても大した事じゃない」

そして
1978年にキースのアルコール治療薬の過剰摂取による死、翌年にはシンシナティのコンサート会場で、11人の観客が圧死、というロック史上最悪の死亡事故が発生してしまう。苦楽を共にし、ロジャー首事件の時は他の3人を説得して復帰させた元マネージャーのキット・ランバートが(麻薬に依存していた)81年に階段から転落死…と、不運が続く。元フェイセズのケニー・ジョーンズをキースの後釜に迎えるも、ピートは82年に解散を発表。
(キース亡き後の初アルバムFace Dances(全米4位)はなかなか楽しい作品、と思う。ヒット・シングルのYou Better You Bet(全米18位)は喝を入れたい時必ず聴く曲。解散直前にリリースされた「It's Hard」(全米8位)も表題曲、Athena、Dangerousと粒ぞろい。シングルカットもされたEminence Frontは、80年代の空気を見事にキャッチしたファンキーな作品。当時ピートが日和った…という評論があったらしいが、そうじゃなくて、天才は時代を実に自然に吸収しちゃうんでは。ピートのテクノカットも、ニコラス・ケイジみたいで楽しい)

その後もライブ・エイドなどで単発で再結成しライブをした。

1996年にはキースから直々にドラムを指南されたリンゴ・スターの息子のザックがサポートメンバーとして参加。
ロジャー「バンドが生き返った」

2002年にはジョンが北米ツアー開始前日に薬物摂取で死亡、オリジナルメンバーは二人のみとなるも2004年にはELPのパーマーを迎えてシングルReal Good Looking Boyを録音。
ピート「NYでのチャリティーコンサートで確信した。まだアルバムが出せる!と。 Real Good Looking Boy は完全にアイツの曲になっていた。俺の曲を彼が具現化する…いや、むしろ使ってもらう。俺が曲を書き、ヤツに渡し、ヤツがオーディエンスに伝える」そしてその2年後に24年振りのアルバム「エンドレス・ワイヤー」が制作される。

…と、見事にReal Good Looking Boy、エンドレス・ワイヤーをポチりたい気持ちにさせて終わったのであった。

/  雑感  /

* 60年代の彼らの私服がカッコイイ!!あとドキュメンタリーフィルムのモッズの若者たちも。60年代ファッションが好きな人はここも見どころかも。

* Quadrophenia=4重人格と訳されてるが「4チャンネル症候群」くらいでも良い気が。

* 奇人と思ってたキースはチャーミングな悪戯っ子で、むしろ60年代のピートに暗い狂気を感じた。が、Tommy後辺りから髭を生やし、落ち着き始める。Tommy制作を通して解毒したのか。または、ピートはモントレーでおぼえたLSDで体調を大きく崩し、救済を探しメハー・ババの本に出会っているので、東洋思想の影響もあるのかも。

* ジョン・エントウィッスルは雷神ならぬ、雷指 (Thunder Fingers )と呼ばれていたのか。

落ち着いた佇まいのジョンだが、Tommyでもっとも悲惨な児童虐待をテーマにした「従兄弟のケビン」「Fiddle About」が彼の作品だったとは!更に彼は買い物依存症で、ザ・フー解散後も同じような豪奢な生活を続け、借金づけだったそうだ(その救済にツアーをした事もあったらしい)。彼の心の深淵になにか暗いものがあったのか、単にそういうもんだったのか…などと下衆の勘繰りをしても、もう知る由もない。RIP。

* ボーカリストとしてのロジャーは、ある意味80年代がピーク、ともいえるかも。3人の天才に囲まれる重圧から解放され伸び伸びしてみえる。 デビュー当時のアグレッシブな目線、ハングリーな表情が消え、自信に満ちたボーカリストのそれに。革ジャンを着て熱唱する様はジョニー・アリディーみたい。

ググったら「ロジャーってダサかっこいい」と、私と同意見の人が沢山いて嬉しい。特に「リポビタンDのCMに出てきそう」というのはワロた。

CMといえば…80年代半ばにはあろうことかロッカーにはあるまじき行為、Do you know me ? のアメックスのCMにも出てる。ニヤっと「これでwho’s whoか、わかりますね」と言っちゃうとこがスゴい。しかし惚れた弱み、アバタもエクボ、このベルボーイ的逞しさもロック、としよう!

You better you betの「so eager to fight can't make letting me in any easier …」って、ピートが喧嘩ばかりしてた頃のロジャーを描いたんじゃね?と邪推して楽しい。

てか、若い頃の、屈託なく笑う時のロジャーには萌え〜。

* 芋ずる式にピートのソロも取り寄せたくなったが…まだQuadropheniaもTommyも十分消化していないところに、リーズ大学ライブのデラックス盤もポチってしまったので、これはもう少し待とう。しかし、当時のアルバム邦題が「現人神(あらひとがみ)」とは。。レコード会社、遊びすぎ。 (追記:このアルバムはピートに思想的救済を与えたメハーババに捧げられている事から、このタイトルなのでした)

* 有名ミュージシャン達が実際に見本のプレイしながら彼らの演奏の解説をしてくれるので、私のように楽器の知識がない人にもわかり易くて面白い。

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by j-suguita | 2015-09-16 22:33 | 音楽 | Comments(0)