貨物列車娘バーサの駆け抜ける青春 『明日に処刑を』
2006年 01月 29日
1930年代の大不況下、左翼労働組合員ビル(デビッド・キャラダイン)と、貨物車(BOXCAR)にただ乗りして各地を彷徨うバーサ(バーバラ・ハーシー)の、放浪と戦いの物語です。途中からイカサマ賭博師、脱獄囚も参加し4人でゴッコ遊びをする子供のように強盗を働いてく。段々エスカレートして、はては知事宅パーティー襲撃まで。
勿論そんな日々は長くは続かない。ある日列車強盗に大失敗した彼等は射殺、逮捕、逃亡と散り散りに。そして。。。
タイトルロールのバーバラ・ハーシーはハマり役。ドン底の日々の中、思うがままに生きるバーサを好演。ポスターどおり、能天気ギャングなカンジ。脱ぎっぷりも良く、モデルの様に矯正されていないノビノビした裸体が美しい。エッチも健康的に、爽やかに描かれてる。
ビルを演じるのは「キル・ビル」でカムバックしたデヴィッド・キャラダイン。(「キル・ビル」の役名はここから来てるのかな?と思いググッてみたけど、わからずじまい。)長過ぎる顔は若い時からだけど、社会に反抗する風来坊のカンジ、巧く出してた。組合ミーティングを監視に来ていた警察官をボコボコにしちゃうわ、「俺はギャングじゃない、組合員だ!」と強奪金を組合に持ってっちゃうわ、(組合に受け取り拒否される)相当ズレてる…。ま、そこが良いのか。
ラストでキリストになぞられているのは、それでも彼は殉教者、という製作者の意図なんだろう。
しかし「明日に処刑を」という邦題は、よくわからん。もしかして当時のニューシネマブームにあやかり「明日」、ラストにちなんで「処刑」、でつけちゃったのか?
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1970年公開の『明日に向かって撃て!』も、原題『BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID』とは全然関係ないですが、きっとラストシーンから考え出されたのでしょうね。
この2つの映画、時代設定は違いますが、ゴッコ遊び的な強盗や結末は似ているのでは。
言われてみれば、かなり共通点あります。
最初、長編処女作と書いたのですが、ググってたら、”ドアをノックするのは誰?”というのが先だと知りました。これは、ハーベイ・カイテル。う〜ン、良〜いオトコ! ピアース・ブロスナンなんかよりずっとステキ。
スチール、http://www.dvdclassik.com/Critiques/dvd_boxcar_bertha.htmでも見られます。(ただ、ネタを割っちゃってるので、これから本作見る予定の人は要注意。)
タイトルは、何をか言わんや状態ですね。
まあ、配給会社でも、その程度にしか、力が入っていなかった、というところでしょう。邦題を付けようとしているだけ、近頃の、原題をそのままカタカナにしてしまう風潮よりは、まだ、マシだという解釈も出来ます。
「~撃て」も、随分、いい加減な邦題ですが、何となくカッコ良くて、それが受けてましたね。
とても良いコトだと思います。
でも、昔「不良少女モニカ」が→ 今「モニカ」に、昔「007危機一髪」が→ 今「007ドクターノオ」に変わりましたから、いつの日か「貨物列車娘:バーサの駆け抜ける青春」と呼ばれて欲しいものです。
・・・って、もっと悪いか。。。
イラスト、前のも見られちゃいましたか照れるなァ、、(汗)
ビルが上手く描けなかったので差替えたんです。
キャラダイン、よく知らないので、なんともいえないのですが。
地下鉄のザジなんていうのもありましたから、有蓋車のバーサも、いいかも。
アメリカ人なら、誰でも、boxcarの意味するものが分かると思いますが、普通の日本人には、無理ですね。
みなさん頻繁なご訪問、感謝です。
女っぽく見えてたなら、差し替えて正解でした。
バリバリ鉄道労組員ですから、ズレてるとはいえ骨のあるキャラなので!
boxcar、あらためて辞書ひいたら”貨物車”ではなく”有蓋貨車”なんですね。う〜ん、”有蓋車娘”だと”有害者娘”と誤解される(実際ギャングなので有害なんだけど)可能性が。。。
タイトル考えるのはムズいですね。やっぱり「明日に処刑を」でガマンするか。。
有蓋車といえば、「ただ乗り」のイメージで、すぐさま、放浪者、逃亡者、犯罪者に繋がります。テレビや映画でも、よく、出てきますね。
アメリカは、東西4500km、まともに払ったら、運賃、すごいでしょうね。
なるほど、それでBOXなんですね。
アザラシさんがおねーちゃんの出てこない作品がお好きとはめずらしい...
映画を見て「うわっ」と言っちゃたのは、この作品が初めてでした。
そういえば、こっちは兄貴の(弟?)キースが出ていました。
テレビで見ただけなので、気合いが、入っていませんでした。
蕪の、見た目、なのでしょうか、愚鈍な印象を与えるようです。
ダーウィンが、進化論を発表した時に、それを批判した学者が、「それでは、君は、優秀な蕪を育てていけば、いずれ、人間になるとでも言うのかね?」と言ったという話が伝わっています。
「蕪って、突然なんだぁ?」と思われた方は
http://t.kuwabara.free.fr/
の拙作「絵日記ブログ」、1月31日の駄文をご覧下さい。
(と、さりげなく宣伝)
あ、それからコメントも出来ますので、物知り坊主さま、みなさま、是非どうぞ。
タイムマシンで、遥か未来に行ってみたら、すでに、人類は死に絶えていて、妙な生き物が歩いている。
君は一体、何だね?と聞いたら、その生物の答えて曰く、
「私は、かつて、あなた方が、蕪と呼んだものです。」
でも、赤毛って良いですよね。
バーサは娼館にまで落ちるので、そういう見方もアリかも。
(・・・って、どんどんネタわってるな。。。見てない方々、スイマセン)
表現的なイタリア人ならでは、なのでしょうね。
逆に北野武はカンヌ映画祭でフランスに来たとき、
「あなたの作品の登場人物が無表情なのは何故ですか?」
と問われ、
「日本には”能”というものがある。仮面のように無表情だからこそ、
見る人にイメージをふくらませてもらえる。」
と答えてました。日本人がヘンに感情入れて演技するとダサクなる
場合があるのはその辺の文化の違いなのでしょうね。
確かに、光の加減で、どういう表情にも、見えるように思います。
ほんのり微笑んでるような、微笑んでないような、微妙さがイマジネーションを誘うのでしょう。
お能は、高校の課外授業でおもいっきし寝てから行ってませんがいつか再挑戦したいものです。
こわもて、とは、読まないでくださいね。
まんざら的外れな読み違いではない、ってことで安心。